二十年、三十年ぶりに古い友達に会いに行ったら、「おまえなんて知らね」と言われさみしい思いをした。そういう話を聞いた。
その人はスポーツをやっているせいか毅然としてい、自分の話がどう受け取られようと構わない、そういうところがある。話に余計な脚色がなく、ぼくはそれを快く思い、同情もした。
人の痛みを、自分の痛みのように感じることはできる。本人でなくてはわからない、そういう意味での「限界」を強調するのは、核心をついているようで実は何も言っていない。ナンセンスだと思う。
人の話を聞くこと、それは形の違う容器に水を移し替えるような作業ではない。でも、そういう手近で明らかに間違った比喩から、聞くことの本質に近づいていきたい。
ある新しい物語は、個人の記憶領域の空白を埋めない。空白なんて初めからない。どんな小さな物語体験も、個人の全てを伴って起こる。