夕方、スーツとトレンチコートの、昭和の忘れ形見みたいなサラリーマンが、ママチャリでぼくを追い越していった。
単身赴任で来ている人のように、なんとなく思われた。そういえばずいぶん少なくなったタイプの人種ではないか。典型的な現代人というのは、いまや存在しないんだとも思った。
ステレオタイプも、なくなってしまえばさみしい気もする。そのおじさんの、川柳でつながるような横のつながりの絶たれた、生活が想像された。なんだか悪くないように思った。


二日間ずっと家にいて、久しぶりに外を歩いた。自分がだんだん外に慣れていく感覚を、久しぶりに思い出した。それの熟練者だと、考えてみた。目の端の、気になる動きをする人、もの。そういうものについ反応してしまう。それに驚いた人と、いっしゅん目が合う。
ごめんねとは思うけれど、それだけ。


買い物をして、帰る。暮れてきている。チーズバーガーみっつと、ハイネケンも買ってきた。河原で食べる。こうもりが飛び始める。ジェット機が尾を引いて、音もなく飛ぶ。間近にある爆音を想像して、我に返る。無音のジェット機は、世界中にある手の届かない暴力たちの暗喩。きゅうに心細くなる。
おばあさんが、逢魔が時のはなしをする。二度目は唐突に感じられるほどに、なにか底に伝えたいことがあるように思った。それをぼくは感じることができなかった。
逢魔が時、いまそこにぼくはいる。おばあさんはいない。ぼくにはまだ何もわからない。